【意外】歴史上に残る有名な発見はほとんどが偶然だった!

それまであった歴史の常識を覆すような発見は、意外にも「偶然」という場合が多いことをあなたは知っていましたか?今回は多くの方が知っているあの遺跡の発見エピソードをまとめました!


実は偶然が大きい大発見

あなたが教科書で知った歴史を感じる上で重要な遺跡は、実は偶然の場合が大きいのです!今回はそんな偶然で見つかった代表的な遺跡3つご紹介します!!


代表的な遺跡例3選!

岩宿遺跡

日本で旧石器時代が初めて確認された教科書にも載る凄い遺跡ですが、この遺跡を見つけたのは当時、父の地元である群馬に復員し行商を行なっていたアマチュア考古学者「相沢忠洋」でした。

相沢は行商中の途中に切り通しの崩れた崖から黒曜石の小さな石片が覗いていることを偶然目撃しました。

おそらく細石器と思われるこの石片に、相沢は日本には縄文時代よりも古い時代が存在するのではないかと考えます。

それから来る日も来る日も切り通しの崖を覗き、そして遂に、誰が見ても疑いようのない黒曜石の「石槍」を発見します。


大森貝塚

日本で考古学が学問として研究されるきっかけとなった大森貝塚は、動物学者であり貝の研究を専門に行う「エドワード・シルベスター・モース」により発見されました。

当時来日したばかりのモースは、文部省学監のデヴィット・マレー博士に会うため横浜停車場(今で言う駅舎)から東京へ向かっていました。しかし途中にある大森停車場を出てすぐの線路脇の切り通しに貝が散らばっているのを見逃しませんでした。

この時モースが見かけたのが大森貝塚で、日本で初めて学術的な発掘が行われました。

もしモースがこの時貝塚を見つけていなくては、日本の考古学はもう少し遅れていたのかもしれません。そう考えると、この時モースの偶然の発見は本当にラッキーだったのかもしれません。



登呂遺跡

弥生時代の中でもとりわけ重要な遺跡である登呂遺跡は、実は太平洋戦争中に軍需工場を建設するという経緯から建設に必要な盛り土を周囲の山や田から集められていました。偶然にも、その田から土を集めている最中に弥生土器や木片、木杭が大量に見つかっていました。

これが登呂遺跡なのですが、普通なら誰にも知られずに消える運命にあったのですが、工事を請け負っていた現場のトップである「小長井鋼太郎」という方が遺物を拾い、近くの学校に届けていたのです。

更に偶然にも、その学校の校長と親しかった「安本博」は、その話を聞き自らも遺物を見に行ってました。

そして偶然の偶然にも、安本はそこで丸木舟を見つけ、それを友人であり記者である「森豊」に見せ、記事となり、登呂遺跡が全国的に知られるキッカケとなりました。

その後、幾度と発掘が行われましたが、もし偶然の偶然が重ならなければ、登呂遺跡は今ごろ世間に知られることはなかったのかもしれません……



まとめ

歴史的な大発見をしたい…そんな気持ちは誰もが思っていることだと思いますが、今回ご紹介した遺跡は3つとも熱意と知識のある人だから成し得たことだと考えます。

もし、あなたが大発見を繰り出したいのならば、知識の修得は難しいけれど、まずは熱意を持つことから始めてはどうでしょうか?