【滅多にない!】殺された縄文人の事例を集めてみた!!

おそらく知らない人はいない縄文時代では、日本人が思うに原始的で生活に苦しいながりも、争いがなく平和な生活を送っていたと想像するでしょう。事実、縄文時代では争い、集団と集団同士の争いが行われた形跡が確認される遺跡はまだ確認されていません。

しかし、縄文人同士での殺し合いの事例は少なからずあるそうです。今回は滅多に起きることのない縄文人同士の殺し合いの事例を集めました。


平和だった縄文時代

縄文人は基本的に狩猟採集の生活を基本としており、村単位の生活規模も現在とは違い小規模なものでした。
また外敵に備える防衛的な要素もなく、かといって他の集団との交流が無いわけではなく、想像以上に広域なネットワークを形成されていました。

逆に弥生時代になると貧富の差が生じ、「戦争」という概念が入っています。

しかし戦争が無いはずの縄文時代でも殺人が起きたのなら人間って何なのかな……


縄文人の殺害事例

遺跡:場所:時代:死因
・三貫地遺跡 福島県相馬郡新地町 晩期 射殺
・伊川津遺跡 愛知県田原市伊川津町 晩期 撲殺
・保美貝塚 愛知県田原市保美町 晩期 射殺
・上黒岩岩陰遺跡 愛媛県上浮穴郡久万高原町 早期 射殺
・栄原1遺跡 北海道八雲町 前期 射殺
・宮野貝塚 岩手県大船渡市中期 射殺
高根木戸遺跡 千葉県船橋市 中期 射殺
・加曽利南貝塚 千葉県千葉市 後期 刺殺
・蜆塚貝塚 静岡県浜松市 後期〜晩期 射殺
・居徳遺跡 高知県土佐市高岡町 晩期 射殺
・粒江貝塚 岡山県倉敷市 中期 射殺
・太田貝塚 広島県尾道市高須町 前期〜後期 撲殺
・枌洞窟遺跡 大分県中津市 後期 射殺
・深堀遺跡 長崎県佐久市 晩期 射殺
・宮下貝塚 長崎県南松浦郡富江町 後期 射殺

(おまけ)
・栄磯岩陰遺跡 北海道島牧郡島牧村縄文時代 撲殺
・有珠10遺跡 北海道伊達市縄文時代 射殺



まとめ

まとめてみると、石鏃や槍による射殺が多く見受けられました。やはり遠くから狙う殺害の方が、いつの時代でもやりやすいのでしょうか?

縄文時代でも殺害があるのは意外ですが、そこには争いを生じえない何かがあったのは事実です。

その何かというのは、当時だったら食料や人間関係のトラブルではないでしょうか?

いづれにしても、平和に見える縄文時代だからといって殺人が起きないわけではないようですね。